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 11.メキシコ

全財産のスーツケースニつを持って、私はグレイハウンド社を訪れた。

二十ニドルで、メキシコ行きのバスチケットを買う。 三日かかるというが、座席は全てリクライニングだ。そうでもなければ、とても我慢出来ないだろう。

国境の町ティファナは近い。サンディエゴを過ぎれば、もうすぐだ。 出入国検査はいとも簡単、あっという間に終ってしまった。 ここから、メキシコのバス会社の車に乗り換える。その時、メキシコの子供が近寄って来た。

「セニョール メダ ツ マレータ. テ ジェーボ ア ツ カミオン」 (ミスター、荷物を預けてくるよ。貴方の乗るバスに持っていくから)

さすがに、私は信用しない。

「ノ グラシィアス. ジョ ロ ジェーボ」(ありがとう。自分で持っていくよ)

この貴重な荷物をなくしたら、旅は続けられない。二つのスーツケースを両脇に抱えて、 私はやっとの思いでメキシコ社のバスに乗った。

バスはなんとなくクリーンさに欠け、グレイハウンドに比べるとかなり落ちるが、一応リクライニングだ。 しかし、段違いなのは道である。アメリカの道路の何と素晴らしかったこと。

穴ぼこだらけの悪路もなんのその、バスは常に時速百キロ以上のスピードで走る。 長距離ドライブの場合は必ずドライバーが二人いて、交代で運転する。 悪路に猛スピード、事故が起こらないはずがない。神様助けて、である。

エルモシージョ、ロスモチス、マサトラン、テピックと大都市を通過しながら、 食事や休憩をとる。もう丸二日走り続けて身体はガタガタだが、ここまで来ればメ キシコ第二の都市グアダラハラは目の前だ。

日本人は、私一人。運賃は安いが、狭いバスの中で三日の間一人きりというのは、 それだけで想像以上の大仕事である。隣席のセニョリータに、話しかけてみる。

「ウステ デ ドンデ ビエネ?」(貴方は、どこから来たのですか?)

私の発音が面白いのか、突然見知らぬ外人に声をかけられて恥ずかしいのか、 連れの友人や家族らしい人達と顔を見合わせて笑うだけだ。何て愛くるしい笑顔。

彼女達は、グアダラハラで下りてしまった。ああ、アディオス。あとで聞けば、グアダラハラ は美人が多いことで有名な所だというではないか。全く、残念。

ここから目的地のメキシコシティまでは約六百キロ、東京大阪間の距離である。あと七、八時間の辛抱だ。 ああ、早くこの狭苦しいスペースから解放されたい。

とうとう、シティに着く。私はまず、バスターミナルから、日本で知り合ったあの警官のラファ エルに電話をした。三十分足らずで、彼はもう一人の友人であるロサーダとフォルクスワーゲンに 乗ってやってきた。その車は、ロサーダが日本に滞在していた三か月間に生活を切り詰めてやっと買ったものだった。

メキシコでは、食料品を始めとする生活必需品の物価は日本に比べてはるかに安いが 自動車などの高級品は恐ろしく高い。一般的に給料の水準は極めて低く、特に警官のサラ リーは安いので、一家の生活を支えるのも難しそうだ。

ロサーダが渡日のチャンスを生かしてやっと手に入れた中古のワーゲンは、ただ自家 用車として使うだけでなく、仕事の合間にタクシーとして活用するという。台数を増やして、 将来はタクシー会社をやりたいというのがロサーダの夢である。

ラファエルは、早速私を自分の家へ連れて行ってくれた。3LDKのアパートには、何と一家十二人が暮らしている。 ラファエルは長男で、姉が一人いるが、あとは皆小さな弟妹達である。 彼は、私に泊まっていけという。食事のことも心配せずに、良ければいつまでいてもいいというのである。 私には、とても彼の言葉に甘えることは出来なかった。

「ラファエル、ありがとう。悪いけど、安いホテルに案内してくれ」

私の気持ちを察したのか、彼はロサーダに言いつけて、私をセントロのモンテカルロホテルへ案内してくれた。

「ここなら安いし、安全だ。確か、日本の人も大勢泊まっているよ」

翌日、クエルナバカの中西ミゲル氏の家へ連れて行ってもらった。メキシコ生まれの日系二世である中西氏は、 ほかでもない私に南米へ移住するきっかけを与えてくれた千葉県庁移住課のあの中西弥太郎氏の長男なのである。

私が五年ぶりに帰国した際、中西先生が私に、ミゲルさんのことを話してくれたのだった。 クエルナバカはメキシコシティから七十キロ、海抜千五百メートルの高地にある。気候に恵まれ避暑地として名高く、 シティの金持ちの多くが別荘を構えている。 最近、ここに日本の日産自動車の工場が建って、メキシコの政財界人と親交のある ミゲルさんが業務部長を努めているという。

彼の家はプール付きの豪邸で、奥さんもまるで女優のような素晴らしいメキシコ美人だ。全く、羨ましい限り。

「メキシコで生活したいのですが、どうしたらいいでしょうか?」

「君、ここで仕事をするのなら、まずビザを取らなければいけない。それには、メキシコ人の女性と結婚するのが一番だよ」

それが、ミゲルさんの答だった。実に、ショックだった。

「正仁、そんなことないよ。もし良ければ、俺の所へ来い。いつまでいてもいいんだから」

ラファエルやロサーダはそう言ってくれるのだが、そんなことは出来ない。 ほとんど迷うことなく、私は決意した。もう一度アルゼンチンヘ行こう。 永住ビザはあるし、働くには何の障害もない。やはり、アルゼンチンヘ行くしかない。 浪越学校で覚えた指圧で、一旗揚げてやる。

ラファエル達が言う通り、モンテカルロホテルには日本人客が多かった。 そこで、妹尾河童さんに出会った。

話をしているうちに、彼が私の兄と知り合いであることがわかったのだ。当時私の兄は東宝で舞台関係の仕 事をしていたのだが、河童さんはそこで舞台美術のディレクターをしていたのだった。

仕事柄豊かなイメージを持つことが最も大切なので、旅行を通じて常に新しい感覚を身につけたいという。 旅費は自前だから、節約して一泊五ドルのこの安宿に決めたのだそうだ。

同じホテルに、アメリカ人の英語教師ミスターマーチンがいた。私もまだまだ英語を勉強したかったので、 早速友達になろうと近づいた。彼は、本当に真剣に教えてくれた。日本人にとって特に難しい発音は、 RとLの違いである。とりわけRの発音が、日本人には中々出来ないという。

「口をもっと広く開けて」

発音練習が続く。実に熱心な先生だ。私は、無性にうれしくなってしまった。 アルゼンチンに移住したこと、そこで経験したこと、思いつくことは何でも全て彼に話した。 マルデルプラタの病院で、痔の手術をしたことも話した。何と余計なことを話したのだろう。うかつだった。

ある日、マーチン先生が夕食に誘ってくれた。もちろん、私は二つ返事でOKした。 私は得意気に、そのことを河童さんに話した。

「川島君、注意したまえ。彼は、ホモだよ。君を良き相手とみて、誘ったんだよ」

そう言われてみれば、思い当たることがある。ロスアンゼルスであんな経験をしたばかりなのに、 何と言う未熟さか。マーチン先生には、何とかもっともらしい理由をつけて断った。彼は、ものすごくがっかりしていた。

験直しというわけでもないが、その晩、私はパンチョロサーレスに会った。 帰国中に私が通訳を勤めた世界タイトルマッチの挑戦者、あのクルスのボクシングマネージャーである。

私達は、かの有名なマリアッチ広場で待ち合わせた。トレーナーのマルティンも来た。 彼等は、タコスやタマーレス等のメキシコ料理をたっぷり御馳走してくれた。ロマンチックな メキシコの音楽を聞きながら、私は明日に思いを馳せた。

明日は再び、アルゼンチンヘ行くのだ。

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 ・ 1. 少年時代
 ・ 2. 力行会
 ・ 3. アルゼンチナ丸
 ・ 4. 渡嘉敷農園
 ・ 5. 谷村農園
 ・ 6. 海老農園
 ・ 7. 弟の来亜
 ・ 8. 花の都
 ・ 9. 五年ぶりの帰国
 ・ 10. アメリカ
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 ・ 12. 再びアルゼンチンへ
 ・ 13. 私の大使館勤務体験
 ・ 14. 在メキシコ日本大使館に勤務
 ・ 15. ミチルとの新しい生活