10.アメリカ
客船さくら丸一万一千トンの二等船室は、四人部屋だった。
相部屋の二人は大学を卒業したばかりで、アメリカヘ語学留学に行くという。
残りの一人は私と同年齢の関西の青年で、アメリカで一旗上げる夢を持っていた。
それはともかく、幸か不幸か、四人とも大のマージャン好きだった。
そうなると、ロマンチックな夢も高い理想も、小休止である。
卓を囲めば無我夢中、何のためにアメリカまで行くのか。だが、船の中で囲むマージャンは格別だ。
食事は毎日御馳走だし、出来ることならいつまでも続いてほしい。
私は元来乗り物にはデリケートなのだが、アルゼンチンのマルデルプラタでの
漁船上の過酷な労働体験がいまだに生きているのか、今回の船旅では酔わなかった。
二度目の船旅でもあるし、私が自信ありげに振る舞っていたのかもしれないが、
他の青年達にはとても頼もしく見えたらしく、私の愛称は「お父さん」になった。
「お父さん、今日も囲みますか?」
「いいねえ」
こうして、あっという間に、ハワイに着いてしまった。
前回の船旅では、船長が時間を稼ぐために北回りで直行したので、私もハワイは初めてである。
緑に囲まれた気候の温暖な素晴らしい島だ。
下船すれば、早速市内ツアーである。ワイキキビーチに寄り、カメハメハ大王の像を拝し、
イオラニ宮殿を見学して、ダイヤモンドヘッドから市内を一望する。
二世の人々の尊い犠牲によってアメリカにおける日系人の地位を不動のものにしたかの「四四二部隊」、
そのヒーロー達の墓に黙祷を捧げる。
市内ツアーを終えて船に戻ると、いよいよロスアンゼルスヘ向けて出港だ。
船内での生活は、相変わらずである。
「おはよう」と言って顔を合せれば、
メンバーはぴったり四人。朝食を済ませて娯楽室へ直行すると、既に準備は整っている。
場所代もいらない。これほど素晴らしいマージャン環境はないだろう。
彼等も、さすがに大学でもまれてきただけのことはある。だが、私とて負けてはいない。
高校の三年間で鍛え上げた実力は、ダテではない。これほどの情熱をもっと別のことに捧げられたらと、誠に残念に思う。
結局、私の求めていた理想のマドンナは現われなかった。ケバアセル(仕方ない)。
ハワイからロスまでは近い。物足りないほど早く、ロスヘ入港。簡単な入管手続きを済ませ、
荷物を受け取って外へ出ると、弟の博志が待っていた。
「兄貴、良く来たな。だけど、まだスクールボーイの仕事は見つからないよ」
「いいんだ。最初はゆっくりやるさ。俺は、メキシコヘ行く前にアメリカを見ておきたいだけだから」
ともあれ、アパート探しである。聞けば、ジャン友達もこれから探すという。皆で一緒に探すことになった。
ロスアンゼルスタイムス紙を買い、手頃なアパートを物色する。ダウンタウンに近い2LDK電話付き、
家賃は月額約百ドル、四人で割れば一人二十五ドルだ。
直接オーナーと交渉するので、日本のように礼金、敷金、ましてやデポジットなどいらない。
食事は、交代で作ることになった。近くのスーパーヘ行って二十ドルも払えば、一週間分の食料か買える。
私は、弟から聞いたアダルトスクール『ケンブリア校』ヘ通うことに決めた。
各人それぞれの実力に合せたレベルを決定するための簡単な試験があり、私はフォースレベルになった。
弟はフィフスレベルに通っている。シックススレベルまであり、それをクリアすれば、大学の講義が受けられるという。
ケンブリア校は、私達のアパートから、バスでほんの二ストップの距離だった。
日本人の姿もかなり目にするが、なんとラテン人の多いこと。
とりわけメキシコ人が多く、私にとっては耳慣れたスペイン語が飛び交う。
「オーラ ケタル. デ ドンデ ビエネス?」(やあ、君達はどこから来たの?)
「ソモス メヒカーノス.ケ ミラグロ. コモ アーブラス ビエン ヌエストロ イデオマ」
(メキシコからだよ。それにしても驚いた。何て我々の言葉を上手に話す人だろう)
学校にはかなりの人数の日本人がいたが、スペイン語を流暢に話せる者は珍しい。
そうなると、私は重宝な存在である。
フォースクラスの担任のヒッピー先生、ミスターアダムスは、私をすぐさまクラス委員長に指名した。
当時はいわゆるヒッピーが流行しており、どこへ行っても髪の毛ばさばさ、髭ぼうぼう、
ジーパンよれよれの青年たちがうようよしていた。ケンブリア校の若い先生方も、大半はそんな風体だった。
アダムス先生も同じ出立ちで、背が高く眼鏡をかけ、髪の毛をリボンで束ねていた。
それが、先生の盛装であるらしい。先生は、毎日教室にギターを持ち込んで弾き語りをし
ながら英語を教えた。本当にやさしい、人間性豊かな人だ。
当然、生徒達の人気者だ。私も、先生の授業がとても待ち遠しかった。
一方、アパートでは、仲間が私の帰りを侍ち構えている。
「お父さん、これ、やろうよ」
必ず誰かが、パイをつまむまねをして言う。
「リトル東京に、雀荘があるそうだよ」
早速、四人揃って、リトル東京を目指す。
リトル東京は、在米日系人が大変な苦労の末に築き上げたビジネス街である。
わずか四、五ブロック程度の広さだが、ホテル、日本料理店、スーパー、書店、
小物店、果てはお寺まである。目指す雀荘は、日本レストランの二階にあった。
「ようこそ、いらっしやい」
愛想のいい日本人のおばさんが、にこにこ顔で我々を迎える。
当時は、まださすがに全自動の卓はなかったが。
スペイン語をマスターしていたおかげで、私は英語の飲み込みも素晴らしく早かった。
それほど、スペイン語と英語の単語は似ているのである。英語の-tion、ションは、
スペイン語では-cionとなり、シィオンと発音する。
例えば、インストラクションはインストルクシィオン、ステーションはエスタシィオンといった具合。
私はロスアンゼルスタイムスに、
「アイム ジャパニーズ.ルッキング スクールボーイジョブ」
という記事を載せてもらった。一週間で十五ドルだ。
その甲斐あって、電話が次々とかかってきた。だが、その大半はホモからのからかい電話だった。
弟から聞いてはいたが、こうも多いとは。
しかも、理由はわからないが、日本人の青年は彼等のあこがれの的だというではないか。油断は、禁物。
弟のボスもホモだそうだが、彼の場合は両刀使いだという。
世界的に有名なビバリーヒルの中腹に住み、ニクソン大統領のお抱え医師として一時間
に三百ドルチャージするというからすごい。
彼の家には日本人学生が三人いるが、決してホモのパートナーということではなく、
三人もの日本人を使っているという仲間に対する見栄と、経費をかけずにメイド代
わりとしてキッチンワークを全て任せられるという実利的な理由からだった。
いくら働いてももらえるのは月四十ドルだが、半年頑張れば車を使わせてもらえて、
通学に利用出来るという。それまでは、ビバリーヒルの下のバスストップまで歩かねばならない。
先輩の高橋さんはもう四年近くいて、来年ようやく大学を卒業出来るそうだ。
私の方はいい加減な電話が多く、結局学校の友人の紹介でシネガーブルバードの近くの大学
教授の家に居候することになった。高級レストランが多いことで有名な地区だが、近くに
は大成功をおさめた日系人、ミスター青木の紅バナレストランがあった。マージャンとも、当分おさらばだ。
教授は四十代の見るからに立派な中年紳士だったが、私が面倒をみなければならないのは夫人の方だった。
夫人は十数年前から下半身が不自由になり、歩くことが出来ないという。要するに、
夫人の車椅子を押すのが私の仕事なのだった。当然、トイレにまで付き合わなければならない。
それはいいとしても、小遣いはなく、食事も余り物を食べるという条件の悪さである。
もちろん、午前中は学校に通学出来るが、バス代は自前である。
部屋は、フィリピンから来ているトムという青年と共用だった。彼の仕事は良くわからなかったが、
ショッピングを手伝っていたと思う。恐らく、以前は夫人の面倒をみていたのだろう。
教授は、よく家を留守にした。長い間不自由な思いを強いられている病人の神経は
とてもデリケートになっているらしく、その度に夫人は荒れた。私は、慰め役も勤めなければならなかった。
「また、彼女とどこかへ行っているのだろう。どうして帰って来ないの」
聞き取ることさえ容易でない上に、そんな話ばかりだった。
正直言って、私はこんな所から早くおさらばしたいと思った。そんな時、弟から連絡が入った。
「兄貴、素晴らしい条件だ。俺が住んでいる家より上の方の人で、俺達のボスより金持ちらしい。
すごいロールスロイスに乗っていて、バスストップに行く途中で一緒になって、よく乗せてくれるんだ。
この間彼の所へ来ないかと誘われたので、兄貴のことを話しておいたんだ。どうだい、来るかい?」
断わる理由は、なかった。
ロールスロイスの紳士は、レオという名前だった。
身長二メートルを越える大男で、口髭ともみあげのふさふさとした堂々たる人物である。
私がもらえる小遣いは八十ドル、車もムスタングを使っていいという。
部屋は個人部屋で、内側からロックをかけられる。仕事は、ショッピングの手伝い、
ボスのベッドメーキング、それにコックとして働いているミスターボブのキッチンワークの手伝いである。
弟が言った通り、素晴らしい条件だ。
ミスターレオはハーバード大卒の秀才で、顔はいかついが優しい人だった。
以前はバハマアイランドに八軒のレストランを持っていたが人に譲り、今はロスでテレビ映画をプ
ロデュースしているという。ロンドンには、別荘まで持っている。
学校から帰ると、ボブと一緒によくショッピングに出かけた。聞けば、最近交通事故を起こして休を
こわし、二度と運転が出来なくなってしまったというではないか。バハマにいた頃は、ミスターレ
オのレストランの壁画を全て描いていたという画才の持ち主である。
ショッピングでは肉を筆頭に何でもふんだんに買えるので、私は翌日の昼食分の肉まで用意出来た。
その上、しばらくすると、小遣いの八十ドルとは別にガソリンのカードを渡してくれた。
「これからは、これでガスを入れたらいい」
当時、ムスタングは若着達にとって憧れの車で、学校へ乗って行くと、
「オージェ メ スーベス」(ねえ、乗っけてよ)
と、メキシカンのチーカ(女の子)から声がかかる。もちろん、日本人の女の子からも注目される。いい気分だ。
「川島さん、私にもそのボスを紹介して」
ある日、女の子から頼まれた。彼女たちの興味は私にではなく、ムスタングとその提供者にあるのだ。
分かってはいた積もりだが、ちょっと寂しい。
家に帰ると、いつものようにボブが待っていた。
「マサヒト レッツゴー ショッピング」
今日も食料晶、その他の生活必需品を買う。ボブの言う通りに道を曲がり、行きつけのバーに寄る。
最初は気づかなかったが、良く見ると女性が一人もいない。
アメリカのバーはこんなものかと思いながら、そのあと映画館へ行った。
なんと、ホモオンリーの映画館である。男同志の絡み合いを見て気持ち悪くなったが、
これも仕事のうちと我慢した。
さすがの私も何となく彼の意図を感じるが、部屋は内側からロック出来るし、
自分さえしっかりしていれば大丈夫、と自分に言い聞かせた。こんなにいい条件の所は、めったにないのだから。
だが、この日を境に、生活パターンが決まってしまった。学校から帰るとまずショッピング、
次にバー、そしてホモピクチャーである。映画を見ていると胸くそ悪くなるが、
英語の勉強と思ってヒアリングに集中すればいいのだ。
そのおかげかどうか、ケンブリア・アダルトスクールのフォースグレードからフィフスの試験に、
私は難なく合格できた。フィフスの先生は、ジョンと言う男のような名前の小柄でチャーミング
な女性だった。ざっくばらんではきはきした明るい人だ。講義も、分かり易い。
ある日、いつものように帰宅すると、ボブが今日はショッピングには行かず友人の家へ行くという。
友人とは、若夫婦のことだった。奥さんは、まだ十九歳だという。私たちの他に、三人の友達が来ていた。
マリファナが、取り出された。当時、アメリカではマリファナは検討中ということになっていたが、
既に若者だけでなく中年の人達もかなり愛好していた。
マリファナタバコを一人が一服吸い、次に回す。二人、三人と回り、ついに私の番が来た。
私はただのタバコさえ吸ったことがないのでかなりの抵抗を感じたが、
現在の自分の立場を考えると吸わないわけにはいかない。
私は出来るだけ少なく吸い、煙はわからないように吐き出すことにした。
彼等にとっては貴重なものなので、まさか私がそんなもったいないことをしているとは、
誰も気づかなかったようだ。
マリファナタバコは、当時で一本一、二ドルだったと思う。昼間ボスのオフィスワー
クを手伝っているヒッピーのエディは、マリファナが大好きで毎日吸っているが、金
が続かないので、マリファナの研究所へ行ってただのマリファナを吸うという。
二、三日後、私はジョン先生に尋ねてみた。
「先生も、マリファナ吸うんですか?」
「そんなくだらない質問するんじゃありません」
それでもう、私はマリファナのことを忘れることにした。
ところが、そのことをマージャン仲間に話したところ、彼等も吸いたいと言い出したのである。
若干風呂敷を広げた手前もあり、私は仕方なくボブに相談してみた。
すると、ボブはとても喜んで、いくらでも吸わせてやるからすぐに連れて来いというではないか。
学校が終えると、私は彼等を引き連れて行った。ちょうどボスか留守だったので、
ボブはホストのように振る舞うことが出来、至極ハッピーそうだった。
彼等は調子に乗って吸いまくり、そのままぶっ倒れてしまった。
だから、翌朝は私が彼等を、家から直接学校まで送るはめになった。
「おい、どうだった、うまかったかい?」
「何が何だかわからないうちに、ふうっといっちゃった」
「今度のクリスマス・パーティーは、川島さんの所でやろうよ」
「そうだなあ。あそこだったら広いし、何でもあるから。早速ボスに話しておくよ」
私も、すっかりその気になっていた。
ボブに話すと、タイムリーにもボスはクリスマス前にロンドンヘ発ち、
向こうでクリスマスと正月を迎えるという。これで、パーティはOKだ。早いとこ食料を買い込んでおかなければ。
その晩、うとうとし始めた項、
「ガチャーン!」
キッチンで、大きな物音がした。
私は強盗かと思い、部屋でじっとしていた。
ところが、足音は私の部屋に近づいて来る。今まで密かに心配していたことが、現実のものとなったのである。
「ドンドン、ドンドン」
足音の主は、力一杯ドアをたたく。私は、ただじっとしている。相手も、何も言わない。ひたすら、たたくだけだ。
ようやく、足音は去って行った。しばらくすると、室内フォンが鳴った。受話器を取ると、ボスの声だ。
「カム ヒア マサヒト」
「アイ ドント ウオント ゴオ ゼア.アイ ドント ライク ユウ」
私ははっきり断り、電話を切った。
「ドンドン」
再び、ドアをノックする音。しかし、前ほどクレイジーな感じではない。ボスも落ち着いたようなので、私はドアを開けた。
「ユー ゴー アウト ヒア」
「OKサー.バット ギブミー ワンディ ウイズ カー」
かくして、ここでのクリスマス・パーティはお流れになったのである。
翌日、私は友達のヨシコに事情を話して、しばらく彼女のアパートにおいてもらうことにした。
ヨシコは何度も顔を整形したというが、さっぱりした性格の気持ちのいい女性だ。
女性であることを意識せずに付き合えるところがいい。
「ヨシコさん、私も行っていい。私も、そろそろ日本に帰ろうと思ってるの」
横で聞いていたサキが、口をはさんだ。
こうして、その晩、私達は三人で寝ることになった。
女性と並んで、私はなかなか寝つかれなかったが、とても疲れていたので、
そのうち頭がボーッとしてきた。その時、ヨシコの向こうに寝ていたサキがむっくり起き上がって、
私に向こうへ行こうと誘うような仕草をした?。ような気がした。
翌朝、耳元でサキが言った。
「貴方って、鈍い人ねえ」
しかし、私はそれどころではない。これからの身の振り方を決めなければならない。
もうアメリカはたくさんだ。メキシコヘ行こう。
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